2月28日 お義母さんはとっても穏やかな綺麗な顔で

天国に逝きました。。。



平成24年9月 特発性間質性肺炎と診断されました。。。

酸素ボンベが離せない生活です。

帰ってきても民宿だった自宅は、ばぁちゃんには広すぎて

生活も不便。。。でも少しでも動かないと弱ってしまうと頑張って

ご飯を作ったりしていましたが入退院を繰り返すうちにドンドン

痩せて自力で歩くことが困難になってました。。。

『どこも痛くないのに動けないのがハンチクタイ』とよくボヤいていました。





神岡(飛騨市)の病院に転院してからは娘(義姉)が毎日通っていたので嬉しかったと思う。。。

個室に居たので顔見なくても足音で誰が来たのかわかるみたいで

私の足音は百発百中でした。





奥飛騨に来た頃は意見が合わない事もあったりしてギクシャクした

関係になった事もあったんです。。。

すぐそばですが家を建てから段々自然体で居られるようになり

実家の母の闘病中はホントにお世話になりました。。。

長男の嫁に来たのに私の母をこっちに連れてきて介護出来るように

したら良いとまで言ってくれました。





自分が入院中の身なのに仕事とバイトを掛け持つ私の体を心配と

涙ぐんだり。。。

私が作ったもの何でも喜んで食べてくれました。。。

私が作ったポーチも愛用してくれてました。。。

思い出がいっぱいです。。。

ばぁちゃんずーっと可愛がってくれて本当にありがとう。

さようなら。。。

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